天正十年(1582年)秀吉が信長の敵討ちのために
光秀と戦った時の陣所となった
山崎妙喜庵(重要文化財)の書院の前庭に
待庵(国宝)という茶室がありました。
その横にあった松の枝が下方に雄大に張っており
陣中の秀吉が通る度に袖がすれたことから
袖すりの松と呼ばれていたそうです。
表千家 六代家元 覚々斎はこの老松が枯れた際
老松で茶器30個を作らせました。
それが老松茶器です。
形は湯呑茶碗の碁笥形に蝶番の付いた割蓋を乗せて
松の木目がよく見えるように
木地溜塗に仕上げてあります。
仕覆を着せれば濃茶入れにもなり
その時の仕覆は長緒とよばれるものです。
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コメント
割蓋についての質問です。
なぜ、老松茶器の蓋は「割蓋」なのでしょうか?
何か理由があるのでしょうか?
水差しに割蓋が使われる場合は、中の水が涼しげに見えるために、使われると聞きましたが、茶器が割蓋の場合はどのような理由で使われるのか、教えてくだされば幸いです。
まだ茶道を始めたばかりなので、知らないことばかりですが、とても興味深く表千家のお稽古をサンフランシスコ市内でさせていただいております。
よろしくお願いいたします。
どうして老松茶器は割蓋なのかという質問ですが
今、私が指導を受けている表千家の宗匠にお聞きしたところ
残念ながら、何故、割蓋にしたかということは
今だにわかっていないとの事でした。
古い文献などにも
その事について一切書かれた物もなく
不明なのだそうです。
この先、その件について何か新しいことが分かったら
お知らせ致します。
答えにならず申し訳ありません。